1948年といえば…
藤田です。
ふだん、なにかと重宝している本に『戦後値段史年表』(朝日文庫)があります。アイスクリームから授業料まで、200ほどのモノの値段の移り変わりがわかります。
“ちょっと昔”のことを読むとき、「当時、○○は△△円だった」とわかると、その時代の感覚が少しリアルになったりします。
同書でちょっと調べてみると…。1948年(昭和23年)。小学校の先生の初任給(基本給)は2千円でした。![]()
雑誌「中央公論」
は25円。たばこ(ゴールデンバット)
1箱は6円。白米
が10キロで680円(東京で)。いずれも1948年の値段です。
なんで1948年かというと…。
認可保育所の職員配置や施設面積などに求められる最低基準(認可基準)が定められたのが1948年だから。
1948年といえば、終戦からわずか3年。焦土と化した日本では住宅が不足し(420万戸不足していたといわれます)、狭い家屋に家族が肩寄せ合って暮らしていました。
2DKの元祖といわれる51C型(1951年にできたのでこう呼ばれるらしい)という“団地の標準スタイル”ができたのが、それから3年後。
この51C型の団地の間取りは、だいたい、6畳、4畳半の寝室に、狭~いダイニングキッチン。「35㎡くらいだった」というお話を聞いたことがあります。
その時代に、「とりあえず、せめてこれだけは…」と決められた保育所の認可基準。“この基準は、今後どんどん向上させるべし”とされていたのです。
ところがそれから60年以上、基準は改善されないまま。あまりの劣悪な基準なので、自治体がそれに上乗せしたりして、のりきってきました。
ところがいま、この基準さえ撤廃してしまおう、という動きが急になっています。(しんぶん赤旗10月26日付参照ください)
“撤廃しないと保育所整備が進まないから”というのですが、ってことは、“撤廃して、もっと劣悪な基準でつくれるようにしたい”ということ。
命、安全にかかわる規制緩和はもう時代遅れです![]()


みほさん、コメントありがとうございました。みほさんのお話で思い出しました。長男が保育園に通い始めたとき、最初に少し驚いたのは、「遊んだりごはんを食べたりする部屋に、布団を敷いてお昼寝するんだ~(布団の裏が汚れるじゃん!)」ってことでした。フロアは砂だらけだったり、子どもはご飯もべちゃべちゃこぼすし。先生たちが大急ぎでそれを掃除して、そこに布団を敷く…。ううむ…と思ったものでしたが、それでも、国の最低基準よりはかなり上乗せされていたはずです。なにより、うちの子はお昼寝が短くて、早く目が覚めてしまい、遊びたいんだけど、起きていい時間がくるまで布団のなかでじっとしていなくてはいけないのがものすごく辛かったと言っていました。先生たちも苦労なさっていました。子どもによって違いますからね。それも、ヨーロッパ並みなら我慢しなくてよかったんですもんね。ほんとに、「コンクリートから人へ」と掲げている新政権には、税金の使い道の優先順位をしっかり考えてほしいです。
投稿: 藤田@ひろば | 2009.10.29 11:21
保育園に1歳と3歳の子どもを預けている母です。
なので、この問題は本当に怒り心頭です!
欧州の保育園では食事、遊び、昼寝は別の部屋ですることや、廊下は必ず車椅子が通れることなどを考えると、低すぎる基準なのに、それでも更に低くするとは何事かと思います。
子どもはもっと大事にされるていいのではないでしょうか?
子ども手当よりも、そちらを優先して欲しいのに・・・
投稿: みほ | 2009.10.29 04:50